こんにちは。
信仰心が薄い北脇です。

日本人は
そういう人が多いと思うんですが

お正月クリスマス
宗教を意識しないし

そもそも
神様を信じてません。

普通に線香あげたり
賽銭入れますが。

例えば
何かを達成したいことが
あったとしても

神頼みするとか
善い行いをするとかの
発想がありません。

ですが
自分がなりたい姿になってる人
のことは信じます。

これは確実ですよね。

だって
既に達成してる人の言動って
現実に証明されてるわけですから。

「信じる者は救われる」
っていう
あいまいなゴールかつ根拠
ではないので
再現性高いですよね。

一方で
非常に信仰心が篤い人がいます。

教祖の言う通りしておけば
救われる。

ここって
どこが違うのか分かりますか?

ゴールが違います。
その方たちは教祖になりたいのでしょうか?

教祖の行動をまねれば
教祖になれる。
そしてそれになりたい。

というのなら合点がいきます。

ですが信者が望んでるのは

ラッキーだったり
死後天国で行くであったり
幸福であったり

なんか
再現性が目に見えないんですよね。

なんで
なりたい自分になりたいのであれば
それを達成してる人の言動を徹底的にまねる

ってのが
手っ取り早いかな
と思います。

よく言われてるとおり
「学ぶ」の語源は「まねる」
であるとか。

ここで終わってしまっては
他の人の文章と同じなんで
私なりの方向に行きますと

「稼げるシステム」
を信仰する人は
宗教を信仰する人と同じだ。

という主張をしたいと思います。

私は100%ないと言い切ります。

正しい事さえしていれば
いずれ成功できる。
と考えるのは
否定はしませんが
単なる子供だと思うし
わがままかつ傲慢かと。

「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」

元白河藩主当時老中 松平定信
前老中 田沼意次のこと。

松平定信はちっちゃい吉宗で

人は清きことだけでは生きて行けないのは
明らかで
だいちつまんない人生だと思います。

田沼はビシビシの切れ者らしく
経済を最も利用した名老中だったらしいです。
経済を分かってる武士は織田信長以来ですよね。

もとい
少し話がズレました。

ツール・ノウハウだけで稼ぐのは
否定はしないが
少々都合よすぎるのでは。
と思います。

そういう考えがノウハウコレクターに。

良いところだけを引っこ抜く思考回路
お金を溶かす!!!!

と常々思います。

結局やるのは自分なんで
「考える力」を鍛えつつ
なりたい自分になってる人の言動をまねる。

結局私は
考える力が一番強い
未来を予測するのは不可能なんで
信仰に近いと心底思います。

なぜなら
「稼げるシステム」は常に変化するし
その時また教祖に頼るようでは
一生教祖の奴隷です。

それよりも真似ながら
「自ら考える力」を構築したほうが
変化に対応しやすいからです。

なんで
先生の言動から
システムや、ツールやノウハウ
引っこ抜くんではなくて
「考え方」や「思考回路」
を引っこ抜く方が使い勝手がいいかと。

ではまた!

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